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2005年9月 6日 (火)

大山倍達 わが空手修行

gazo-karate-oyama11大山倍達著『大山倍達 わが空手修行―青春と闘魂の記録』

我われの年代の人間にとって、大山倍達(おおやまますたつ)という人は、特別な人ですね。

『空手バカ一代』で知られる、この極真空手の創始者は、星飛雄馬や矢吹ジョーに並ぶ、時代のヒーローであったことに間違いありません。実在するこのマンガのヒーローは、決してマス・メディアの表舞台に登場することはありませんでしたが、多くの若者に、リアルな格闘技の世界の魅力を教えてくれた人です。かく言う、私も少年時代から格闘技は大好きです。

今回、ブックオフでこの本を見つけたときには、牛や熊と戦う“神の拳(ゴッドハンド)”の勇姿に心を躍らせていた少年の頃の熱い思いがよみがえってきて、手にとらずにはいられませんでした。
大山倍達の半生はもちろん『空手バカ一代』で熟知している私ですが、その人生の苦難の道を、本人がどう語るのかを知りたくて、ワクワクしながらページをめくっていきました。

一代で極真空手を全世界に広めた武道のカリスマの生涯は、予想通りの苦行の連続でした。自己の力、肉体の強さの限界に挑むために、ありとあらゆる荒行を自分に課していく。どうしてそこまで、求めねばいけないかのかと思うほど、自分の限界に挑戦していくのです。

圧巻は、自分の強さを試すために猛牛との戦いに挑んでいき、さらにはそれにもあき足らずヒグマとの戦いを企てる場面です。結局は、警察の介入により、熊との決戦は中止となるのですが、残した言葉がこれです。

人道的な立場から介入した警察当局の中止命令がなかったら、あるいは、私の片腕は、喰いちぎられていたかもしれない。しかし、私にはもう一本の腕があったのだ。熊が私の眼前で仁王立ちとなり、私の腕を喰いちぎろうとも、渾身の力をこめて振り下ろした私のもう一方の腕の一撃は、熊の急所、コメカミにめり込んで、頭蓋骨を叩き割っていたはずであった。その一撃は巨牛を殺した正拳よりも、さらに強烈な必殺パンチだったはずである。

この執念。たとえ片腕を喰いちぎられたとしても、なにがなんでも熊を倒したいという執念はどこから来るのだろうか。なんのためにその道を選ばねばいけないのだろうか。
人が自分に課す使命感というのはこれほどまでに、すさまじいものなのかと圧倒される思いです。

これに限らず、道を極めることのすさまじさがあらゆるところで語られるのですが、“昭和の三四郎”柔道王こと木村政雄の言にも驚くべきものがあります。
木村一人で50人を相手に稽古をした場面です。体力と気力の限界の極限を超えても、その状態を続けていると意識が回復に向かい、最後には始めの体調にもどる、いやそれ以上に元気になることができる、というのだ。木村はこれを称して「復元」と呼んでいるのだが、こんなことが実際の起こりえるのだろうか。

本当に武道を極める人たちというのは、どんな精神力を持って生きているのか、凡人には、はかり知れないものがあるのですが、この“超人”たる大山倍達も最後に人間らしい一面を見せています。

むろん私とて生身の人間であるから、これからもさまざまな不安や悩みを抱くことであろう。眠れぬ夜もあるに違いない。しかし、私は負けぬ。戦い続ける。人間は戦っている間は決して負けないのだ。あきらめた奴だけが負けるのだ。あるいは私が空手から学んだものは、この一言に尽きるのかも知れない。

あきらめきれない目標を持った人間は、強い。
不安や恐怖心を力に変え、普通の人には成し得ぬ、偉大な功績を残すことだろう。
しかし、そういう人にも弱い一面はあるのだ。未知の世界に挑むときには、自分にはできないのではないかという不安に襲われる。そして、あらゆる恐怖。それを克服するものは、「使命感」なのではないだろうか。

そんなことを確信させてくれる、偉大なる先人の言葉に感謝をしたい。

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